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「そこに神威あり」

  • 執筆者の写真: 千聖 髙倉
    千聖 髙倉
  • 2018年9月5日
  • 読了時間: 3分

神道、神仏習合の行者として霊山のお参りもさせて頂いております。



先日、12日の早朝から、福岡県太宰府市にあります、宝満山へ行としてお参りしてまいりました。



お行としてお参りいたしますときには、さいていでも一週間前から四つ足の肉断ちや潔斎などで身を清める前行をしてお山に向かいます。



一般的な登山やハイキングとは意味合いが違います。



さてそんな中。



今ある日本の霊山とは昔の行者さん、代表的なかたは役行者(えんのぎょうじゃ)さんや弘法大師空海さんが有名です。



そういった方々があちこちのお山でご神仏のご神氣を感じて、勧請され、お祀りされ現在に至るのですが



信心深いご年配の方々からお話しを伺うと、本来、霊山で怪我したり死んだりすることは病気であっても事故であっても罰当たりと言われたりいたします。



とはいえ生き物から人間まで時代の様々に生き死にはあるのがお山でもあります。



昔の話しでは飢饉のときなんか山に身内を捨てにいってたというお話もありますね。



もちろん九州のお山にも色々あったりいたします。



それでも「霊山」として信仰のお山があるわけですが



宝満山は玉依姫さんがお祀りされています。



今回はひとり。午後から仕事がありましたのでちょっと急ぎ目に登って降りてまいりました。



その道中、さすが平日、そして朝の6:30からという微妙な時間帯であまりお人には合わず、また道中ひとり朝日の射す中を歩いていましたら




「そこに神威あり」と浮かびまして。




なぜ(行として)山に登るのか とよく問われるのですが、



はじめは自殺した父の供養のためでした。


霊山参りを望んだのは母でしたが母は足が悪いため山に登れず私がかわりに登ったのがはじまりです。



話をもどしまして



「そこに神威あり」



そのあと、" 身を清めた神職者や行者、参拝者が山頂に神威を感じまた思い、ご神徳を求め、山を登り、神威やご神徳を受けて山を降りることで山が霊山として清められ道ができ、靈山が靈山として成る " と、きこえました。



もちろん普通に山に登ることも素敵だと思います。



ただ、現在でも信仰の厚いお山ではお山ごとの作法、礼法、約束ごとがあります。



ゴミを捨てない、また道中トイレがなくても用をたしてはいけない領域などいろいろあります



それらを守ることは自分を守ることにもなります



自分で分からない場合は、最寄りの神社仏閣にお問い合わせになられるか、また先達さんや案内人さんに教えて頂くか同行されることをオススメいたします。



真摯なお心をもって登って頂きたいです。





つづく




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