スピリチュアルに向かわなくても、自分を感じることはできるんです。
- 千聖 髙倉

- 2015年12月4日
- 読了時間: 2分
スピリチュアルに向かわなくても、自分を感じることはできるんです。
みなさまいつもありがとうございます!
貴重なみなさまの時間をかけて私のカケラに触れていただきありがとうございます。
更新していなくても、アクセスして頂けてるって有り難いです(*^^*)
自分の感じたこと、何かしらのお役に立てたらいいなぁ、と感じたことを綴って行きたいと思います。
さてさて。
スピリチュアルに向かわなくても、自分を感じることはできるんです。
ってことなんですけど、スピリチュアルについて何か知ってないと自分を感じることができない何かを感じ取ることができないと思ってる方が意外に多い?みたい?ですね。
自分を感じるってですね単純に喜怒哀楽を単純に感じてるだけで充分なんです。それだけで、もう100点満点なんです。本当はそれを感じていられるだけでもうちゃんとできてるんです。でも世のスピリチュアルブーム高まって見えないことわかんないことを感じる事がすごく重要視されてるんですけど意外とね自分の近くにあるんですよね。
ただその自分の中にある喜怒哀楽の詰まったところ、滞ってるところっていうのをほぐしたり循環させたり昇華したり浄化したりするときに「違う感覚」と言うものに触れたり見たり聞いたり習ったりやってみたりするって言う事はすごくクリアにしやすいんですね。
先入観なく向き合いやすい、
つまり「きっかけ」なわけです。
何もなくてもするすると生きて居られればそれほど楽な事はないんですけどもね。やっぱり人間ですから生きてると働いてると生活しているといろんなことを感じていろんな思いに出会っていろんな氣持ちを見たかったり、見たくなかったり、いろんな氣持ちにためらったり、引っかかちゃったり、とかしちゃうわけですよね、でそんな中でたまりにたまったものが足枷になっちゃったりして。
でも、それも必然。
遠回りしても。
大丈夫^^
ちゃんとまわっていく。

ちぃ










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