絵の裏の日付に過ぎた時間を知る。
- 千聖 髙倉

- 2015年4月9日
- 読了時間: 1分

なんかちょっと氣になってがくを少し磨いて、絵を入れ直していたら、
「2013.8.9」
あぁ、結構時間過ぎたんだなぁって
なぜか不意に描きたい衝動に駆られて沢山沢山、
描いた観音様。
父の13回忌の年だった。
紡ぎたい言葉は何となくカタチにするのがそのときじゃない氣がして。
好きだったから嫌いになって
尊敬していたから軽蔑して
分かりあいたかったのに、切り離されて
彼は彼の想像の私しか見ていなくて
そんな余裕なかっただけだと、百歩ゆずって彼の立ち位置にたっても理解することと感情、許すことは別で、ただ愛されたい「ヒトリノコドモ」だっただけなんだけど。
みて欲しかったのは「変われない私でなく変化の可能性を持つ私だった」
コドモにとって最初の世界は家庭で、一番に出逢う最初の手本、先生は親で、だからこその感情が、成長する過程であって、近づいたり離れたり、助けたり助けられたり関わりあうから分かることが、あったり。ほんと、おもしろい。
今はそぅ、思えるけど、私はそんなに出来た人間じゃないから「失って氣づいたこと、許せたこと」たくさん。
まだまだ紡ぎ終わるには時間がかかるなぁ笑。
今日もいい天氣!
ちぃ










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